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第8章 「レコードに代わるものはこれだ」 <コンパクトディスク>

第1話 「レコードに代わるものはこれだ」

 そうこうしているある日、当時副社長の大賀はオランダの電機メーカー、フィリップスの幹部オッテンス氏からテレックスを受け取った。ヨーロッパに来ることがあればぜひ立ち寄ってほしいという内容である。フィリップスのオッテンス氏といえば、1960年代半ば、オーディオの「コンパクトカセット」の世界規格化をともに進めた時からの付き合いだ。以来ソニーの大賀、フィリップスのデッカー氏、オッテンス氏など、両社の幹部の間には確かな信頼関係が生まれていた。(第2部第5章第1話を参照)

 1978年6月、大賀がオランダのアイントホーフェンにあるフィリップス本社を訪れると、オッテンス氏はあるものを見せてくれた。それは、中島や土井たちが開発を進めているものと同様の、オーディオ専用の光ディスクだった。「オーディオ・ロング・プレイ」(ALP)と彼らは呼んでいた。彼らは、70年代にレーザー光を使用した「光方式」のビデオディスクを世界に先駆けて開発したメーカーであり、ALP はその技術を生かした副産物であった。この頃、いろいろなメーカーがデジタルオーディオディスクの開発競争にしのぎを削っていたのだ。
「この直径11.5cmのディスクに1時間の音楽が入ります」。デモンストレーションをしながら、こう説明があった。そのディスクは大賀の目にはかなり小さく映った。
 技術的には、ソニーもできないことではない。何しろ30cmのディスクに13時間20分入るのだ。1時間なら9cmのディスクでよいということは実験的、理論的に分かっていた。ただ、「1時間の記録でよいから、自動車のダッシュボードに入る小さいディスクを」という商品コンセプトにまとめられ、目の前に置かれた実物には迫力があり、説得力もあった。フィリップスは「デジタル音声を入れて、小さくすれば、扱いやすいし、音は良い。この商品でレコードを全部置き換えることができるのでは」と考えたのだ。

 オッテンス氏が大賀を招いたのは、まったく新しいメディアである直径11.5cmのオーディオ専用のデジタルディスクを、一緒に開発して商品化しましょうという、内々の打診だった。ソニーの、デジタルオーディオディスク開発はもともと、中島のひたむきなデジタル音声への思いだけを原動力に始まったものだ。本当に商売になるような素性のものか。まだまだ、黒いレコードから流れ出るアナログ音声への信仰は根強いものがあった。
 しかし、大賀の決断は速かった。フィリップスの見せた小さい銀色に輝くディスクと、スマートなプレーヤーの試作機に将来性を感じ取っていた。「レコードに代わるものはこれだ」。まだまだノイズも多く、信号処理方法もこれからというものだったが、彼らと一緒なら、良いものがつくれるだろうと思った。

 フィリップスは、光学方式のビデオディスクのリーダー的存在であり、ソニーはデジタルオーディオ信号処理技術を開発している。両社が手を組めば、理想的な音楽メディアができるに違いない。さらに、両社には自前のソフトウエアの会社がある。フィリップスにはポリグラムという世界的なレコード会社があり、ソニーも1968年に設立したCBS・ソニーレコードが大きく成長していた。彼らがこの新しいメディアのソフト供給者となってくれる。この時、大賀はソニー副社長であると同時に、CBS・ソニーの社長も兼ねていた。

 その後、何度かフィリップスとソニーの幹部がお互いに行き来して、両社は共同開発を行う方針を固めた。
 前年の9月には、デジタルオーディオディスクの規格統一の話し合いのために内外29社からなる「DAD(Digital Audio Disc)懇談会」が発足していた。ここに両社で規格をまとめて提案してみようということになったのである。

第2話 追いつ追われつ

中島(前列右から2人目)、宮岡(後列左から3人目)、土井(後列右から4人目)およびソニーとフィリップスの技術者たち

  1979年8月の終わりから、いよいよソニーとフィリップスの共同開発が始まった。両社は、すでにVTRに関して1966年にフリー・クロスライセンス契約(お互いが、相手の所有する特許を自由に使えるようにした契約)を結んでいたが、デジタルオーディオディスクの共同開発を開始した翌月、改めてディスク開発を含め、より広範囲のフリー・クロスライセンス契約を結んだ。

 東京とアイントホーフェンで、数ヵ月おきに交互に会議を開き、研究成果について意見交換を行っていく。ソニー側からこれらの会議に出席して技術交渉にあたったのは、技術研究所の中島、土井、ディスク開発部の宮岡たちである。最初は、「とにかく信号を入れるための大まかなところを決めよう」ということで平和に始まったのだが、とにかく研究熱心な技術者同士である。すぐに、ハードディスカッションが始まった。

 両社の間で論議になったテーマの一つに、量子化ビット数の問題があった(アナログ信号をデジタル化する時に、一定時間ごとにアナログ信号を切り取ることを標本化〈サンプリング〉といい、1秒間に切り取るサンプリングの数をサンプリング周波数という。また、サンプリングされた各信号のレベルを0と1の2進数の符号で表すことを量子化といい、この2進数の桁をビットという。ビット数が大きい〈量子化の精度が細かい〉ほど、再生音のダイナミックレンジは大きくなる)。当初フィリップスは「14ビット」と主張した。これに対しソニー、中でも土井は、「16ビットでなければだめだ」と強く主張して譲らなかった。当時、14ビットは実現が容易であったが、16ビットは技術的にも価格的にも至難の業とされていた。21世紀になっても通用するシステム——このためには、少々無理をしても16ビットにチャレンジするべきだと土井は信じ、ためらっている社内外を説得した。

 他にも「記録時間は60分、ディスクの直径は11.5cmでどうだ」とフィリップスが主張すれば、「いや、75分、12cmでなくては」とソニーも譲らず、話し合いは白熱する。万事こういった調子だった。

 それぞれの主張には、それなりの根拠がある。フィリップスの主張した直径11.5cmというサイズは、オーディオカセットの対角線の長さと同じで、 DIN規格(ドイツ工業品標準規格)に適合する。ヨーロッパ市場でのカー・オーディオとしての将来性を見込んだのである。一方、ソニーは音楽ソフト面から議論を進めた。音楽家でもある大賀から決定的なひと言があった。「オペラの幕が途中で切れてはだめだ。ベートーベンの『第九』も入らなくては。ユーザーから見て合理性のあるメディアにしなくては意味がない」。これは75分あれば大丈夫だ、ということを意味していた。さらにクラシック音楽の演奏時間を調べてみると、75分あれば95%以上の曲が入り、直径12cmは必要ということになる。

 するとフィリップスは「12cmでは上着のポケットにも入らないじゃないか」と反論してくる。「本当かどうか調べてみよう」とソニー側も食い下がり、日・米・欧の上着のポケットのサイズを調べ上げた。結果は、「14cmを下回るポケットはない、12cmで問題なし」。ソニーの主張が通り、最大演奏時間75 分、正確に言えば74分42秒、そして直径も12cmに落ち着いた。サンプリング周波数44.1kz、量子化ビット数も16ビットと、ソニーの提案が通った。

 次に焦点となったのは、「誤り訂正」(デジタル信号再生の際、ゴミや傷などのために信号が読み取れなかった時、正しい信号を復元すること)だ。デジタル技術の粋を極めるこの辺りのことは、土井の出番だ。最初にデジタルオーディオディスクをつくった時から、勉強に勉強を重ねてきた。

 ソニーの技術者は、アイントホーフェンまで何度も足を運んでディスクの勉強を行う。フィリップスの技術者は、デジタル信号処理、オーディオのエラー訂正とはいかなるものかを、ソニーを訪れ必死に勉強する。半ば競争しながら、両者のポテンシャルが上がっていった。協力しながら規格をつくり上げていくパートナーシップでありながら、ライバルのような追いつ追われつの関係でもあった。

 最初はデジタルオーディオ開発に乗り気でなかった井深もこの頃になると、「やめろ」ではなく、「やれ、やれ」とけしかける側になっていた。


第3話 「コントリビューション イズ イコール」

DAD懇談会に共同提出された直径12センチのCD(手前)

理想的なメディアにするために、ソニーとフィリップスはお互いの意見を主張し、議論を重ねていった。規格をまとめ上げる目標は、取りあえず1980年4月。6月にはDAD懇談会に提案しなければならない。

 ソニーとフィリップスの間で激しいディスカッションが繰り返され、次第にデジタルオーディオディスクの中身は練り上げられ、完成度が高くなっていった。しかし、「もう少し工夫すればもっと良くなる」「そちらの提案よりこちらのほうが.....」と双方の技術者が譲らず、当初の目標だった4月も過ぎてしまった。どこかで打ち切って、DAD懇談会へ提案する規格としてまとめなければならない。提案期限である6月がすぐそこまで迫ってきていた。

 どうにかまとめた規格提案を前に、中島とフィリップス側の代表ボーゲルス氏は、2人でこういう話し合いをした。「これは自分たちがやった、あれは自分たちがやったのだということを一切言わないことにしよう」。「コントリビューション イズ イコール」、両社の貢献度は同じということである。これには、異論のある者も当然いた。技術者にとって、「あれは自分たちがやったんだ」という自負と、その成果に対する評価が次への原動力となる。中島も、技術者として、気持ちが分からないわけではない。しかし、何とかまとめ、懇談会への提案の準備を始めた。提案する方式は「コンパクトディスク・デジタルオーディオシステム(通称CDシステム)」と命名された。

 1980年6月。DAD懇談会では、ソニー・フィリップスが提案した「光学式」、ドイツのテレフンケン提案の「機械式」、日本ビクター提案の「静電式」という3方式の評価が始まった。

 ソニー・フィリップスが提案した光学式と他の2方式の間には大きな違いがあった。光学式ディスクの場合、ピット(小さな凹み)の配列でできている信号面が、ディスクの内部にあり、表面にはまったく溝がない。プレーヤーのピックアップは、接触することなく、光をディスクに当てて内部にある信号を読み出すため、摩耗、摩擦、目詰まりなどの接触によって起きる問題の心配はなく、寿命も非常に長く保てる。少々雑に扱っても、原音により近い良い音が繰り返し聴ける。「LPレコードに代わる次世代のディスクにするならば、取り扱いがより簡単でなくてはならない」とソニーの技術陣は考えていた。他の2つの方式は、いずれもディスクと接触して信号を読み取る方式だった。
 翌1981年4月、DAD懇談会では1方式に限定するのはあえて避け、ソニー・フィリップス方式、日本ビクター方式の2方式に集約されて評価は終了した。 


第4話 Xデーは1982年10月

新しく開発されたDAコンバーター(手前左)とLSI 3個(手前右)が搭載されたCD試作機「ゴロンタ」

 さて、DAD懇談会への提案を行う一方で、ソニーは直ちに第1号機の商品化にもとりかかっていた。ここで大賀から、「発売時期は1982年10月だ」という指示があった。これは、厳しかった。なぜなら、1年間の共同開発により両社の技術は互いに向上し、規格自体も「素性の良い」ものに仕上がっていたとはいえ、実際のハードウエアに使ういろいろなキーコンポーネント(基本となる構成部品)を、商品レベルにまで完成度を高める道のりは、まだ遠かったからだ。あれもない、これもない、というように、キーコンポーネントがないないづくしの状態であった。技術研究所に加え、商品化にあたり頑張ったのは、音響事業本部内の技術部、オーディオ事業部のメンバーである。

 まず、光学ピックアップ。これは、ディスクに光を当てて信号を読み出す、プレーヤーの心臓部だ。光を発する半導体レーザーダイオード、レーザーから出る光を集めてディスクに当てる対物レンズ、回転しながら微妙にふらふらと振れるディスクに合わせて、レンズを素早く動かして光を追従させる2軸システムというデバイス——などがその重要なパーツだが、まだどれも満足いくものは1つとしてない。1.6μm間隔(1μmは髪の太さの40〜50分の1)で並んだ 0.5μm幅のピットに光を当てなければならない。直径12cmのディスクに、何とおよそ20億個のピットがある。今までのビデオディスクに使われたものでは、どれも力不足だった。レーザー1つをとっても、ビデオディスクプレーヤーで使っていたヘリウムネオン型ガスレーザーは、長さが20cmもあり、 12cmの光ディスクを使用する新メディア用のプレーヤーには大き過ぎる。半導体を使ったレーザーなら小型化もできるが、何しろ数年前に「実験室で発光した」と話題になった程度だった。

 レンズにも顕微鏡並みの精密さが要求される。これは、数mm径の精密ガラスレンズを何枚か重ねてやっと1人前の働きをするというもので、小さなピットにぴたりと光が当たるように、レンズの光軸をそろえて組み合わせるのは至難の業だ。

 また、半導体にも問題があった。500個のIC(集積回路)を使ってやっとこなしていた高度なデジタル信号処理を、数個で行えるLSI(大規模集積回路)を開発しなければならない。それが完成しないと、一般家庭で使えるような小型のプレーヤーにならないからだ。アナログ・デジタル間の信号変換処理を行うA/D、D/Aコンバーターも、それからディスク自体もまだまだ問題をたくさん抱えていた。「あと2年で本当にできるのか」
 皆でこれからやらなければならないことや問題点を書き出してみたところ、200項目にもなり、書き込んだ紙は数mの長さになった。

他メーカーなどあらゆる所に足を運んだ結果、幸運なことに量産可能な半導体レーザーが見つかった。「これを使って光学ピックアップを作ろう」
 また、ディスクの微妙な振れや偏芯回転にも追従して、確実にピットを追える2軸システムも開発された。こうして、今までのものとは比較にならないほど小型になり、ミクロのピットを確実に捉えられる高性能の光学ピックアップが仕上げられていった。

 半導体グループも頑張った。D/Aコンバーターは、それまで高価な部品を組み合わせて30万円近くしていたものが、1万円程度のIC(集積回路)1個に収められ、プレーヤーの大幅な小型化とコストダウンに貢献した。さらに、信号処理用の500個のICは小さなLSI3個に凝縮された。

 1981年秋のオーディオフェアには、スマートになったCDプレーヤーの試作機が参考出展された。数日前に届いたばかりのできたてほやほやの、3個1組で500個分のICの働きをするLSIが組み込まれていた。ディスクはプレーヤーの前面に垂直にセットされるようになっていた。銀色に光りながらクルクル回るディスクが前面から見え、見栄えがした。ディスクを垂直にして演奏させるのは、技術的にかなり難しい。しかし、技術の粋ここに極まれり、と技術者が自負した割には、少し不格好だということで、この試作機は「ゴロンタ」というありがたくないニックネームをもらってしまった。





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