SONY

English ソニーイメージングギャラリー 銀座

キセキミチコ 作品展 GAZE

 コロナ禍を経て、日常を取り戻した日本で日々を送る中、私はふと今自分がいる場所とは対極な場所を見たいと思った。デジタルやAIが氾濫し液晶画面の中であらゆるものを見ることができ、知れる時代の中で、モノに触れ、人に触れ、わざわざどこかに赴き、文化に触れる、ショッキングなことに触れる、優しさに触れる、これに勝ることはない。価値観とは、今の行動や過去の経験から生まれてくるのだけれど、知らない世界を垣間見ることで、その価値観も変化していく。

 ある時、中東欧に居住する移動型民族、色彩豊かな感覚を持つロマ族のことを知った。国を持たない民族であるがゆえに差別や社会から虐げられることはいつの時代もあり、今でも貧困や偏見がある。私はロマの人たちに会いたいと思い、2022年夏、東欧・ルーマニアの旅へ出た。東ヨーロッパ、バルカン半島の東に位置し、人口約1900万人のルーマニア。国名の由来はラテン語で「ローマ人の土地」という意味らしいが、多種多様な民族によって形成された国家でもある。実際、首都ブカレストに降り立った際に自分がどこにいるんだろう?と感じる時が多々あったのだ。時にアメリカを感じる光があり、アジアを思わせる匂い、ヨーロッパの景色があり、時に中東な香りもあった。インフラも整い、整備された街は決して途上国ではないもののブカレストは社会主義時代が色濃く残り街全体が灰色をしていた。どことなく寂しい視線も多く、町外れの集落や廃墟で見かけるロマの人たちの生活ぶりはどこか切なさを感じた。しかし3週間かけてルーマニアを北上する中で、優しいまなざしを持つ人とも多く出会い、ため息の出るような美しい街並みの田舎町もあった。そしてどこへ行っても人懐っこいルーマニアの人達がいた。日本語とルーマニア語で30分以上会話をした駅の男の子、町外れの集落で出会った笑い声の耐えない家族、ルーマニアでは珍しいアジア人を心良く受け入れてくれたように思う。

 ハンガリー、ブルガリアを経てまたルーマニアに戻ってくる。ヨーロッパは陸続きな為、歩いて国境を超えられる。しかし、そこには違う匂いや、空気、息づかいが聞こえ、どんな場所にもその場所のアイデンティがあった。近年はどの国も同じように開発され、同じようなモールがあり景色が同じになる中で、東欧は「そのまま」が残っていたように思う。そして「そこ」に自分の道を生きている人たちがいた。温かいまなざしを感じたルーマニアだった。

 私が訪れた時は、隣国ウクライナでは戦争が始まって半年というタイミングでもあり、混沌としている状況ではあったもののルーマニアの人々はこの戦争を静かに見守っていた。そして今もなおその戦争が続いていることを忘れてはいけない。

キセキミチコ

キセキミチコ プロフィール

父親の仕事によりベルギーに生まれ、香港、フランスに移り住む。14歳で日本に帰国。マグナム写真に影響を受け、日本大学藝術学部写真学科に進み、報道写真のゼミを専攻するも、音楽のパワーに魅了され音楽写真の道に進む。スタジオ、アシスタントを経て独立し、アーティストのポートレイト、ライブ写真、広告写真などを手掛けながら、個展、グループ展などを多数開催。2017年、日本の田舎にあこがれを抱いて撮った写真集『DRYNESS』を私家版写真集として発刊。がむしゃらに階段を駆け上がっていく中で葛藤と戦い、新たに自分を見つめるために幼少期育った香港を訪れる。人々の生きるパワーに圧倒され、彼らの姿を撮るべく2019年7月長期滞在ロケのため渡航。香港民主化デモに遭遇し間違ったことに声をあげる人々の戦いに心が震え、泣きながら最前線で写真を撮り続ける。2022年2月『VOICE香港2019』を刊行。写真家として改めてスタートラインに立つ。
「自分の気持ちに正直に写真を撮る」を信条に、写真と向き合っている。