−ATRAC3plus技術の開発には、どんな背景があったのですか。

井上： ATRAC3plusの時代とは、低ビットレートや高ビットレートなど、いろいろな要求が出てきた時代といえます。

東山： ATRAC3規格は、もともと132kbpsでMD相当の音質を実現することを目標に開発されたため、それより低ビットレートで実現できる音質には限界がありました。そこで、過去のさまざまな課題をベースに、それをクリアーする技術を入れ込みながら、時代の要求にそった音づくりをしたのがATRAC3plusです。2003年にテストラボが実施した主観評価実験では、ATRAC3plus 64kbpsはMP3 128kbpsの音質と同等である、との結果を得ています。

井上： 低ビットレートのニーズのある一方、HDDなどメディアの大容量化が進み、圧縮率はそれほど高くなくても、よい音で記録したいというニーズも同時に出てきた。

鈴木： 曲数もいいけど、音質をより重視したい、という要求ですね。

井上： その要求に対する解が、ATRAC3plus 256kbpsです。CDは1411kbpsなので、その約1/5のサイズですが音質は非常によいです。

東山： 最近行った主観評価実験では、ATRAC3plus 256kbpsとCD(1411kbps) は音質の違いがわからない、という結果を得ることができました。

−音のつくり込みという話しがありましたが、音の最適化（チューニング）はどのようにするのですか。

鈴木： 音に対する好みは、一人一人違います。すごく気になる音があっても、人によっては全然気にならなかったりします。そんな時には、仲間を見つけて多数でその人を攻めたり（笑）。

東山： たとえば、楽器をやる人は個々の楽器音が気になるし、やらない人は全体をとらえて聴く。人によってとらえ方が異なるので、チューニングは一人でやると危ないですね。私はいろいろな楽器をやってきたので、楽器やボーカルの音質を気にしながら聴いています。

鈴木： 私は、彼とは反対で全体派なんです。ウォークマン世代の「ながら」族なんで、なんとなく全体を聴いています。だから、彼とは気になる所が違う。その場合、どっちを優先させるということではなく、両方を満足させるように考えます。ある程度音をつくったら、今度は辻さんや井上さんを試聴室に何時間も連れ込んで、評価してもらいます。

−チューニングというと、具体的にはどういうことをやるのですか。

鈴木： エンコード、デコードの処理の繰り返しです。つまり、信号処理して圧縮して、元に戻してまた聴いてみる、という手順ですね。普段はヘッドホンでの試聴ですが、全体的なチェックの時は試聴室のスピーカーで聴きます。

−ヘッドホンとスピーカーでは聴こえ方が違いますか。

鈴木： 全然違います。ディテールのチェックにはやはり、ヘッドホンです。ただ、雰囲気とか、聴いていてここちよいか、音のバランスがよいかどうかをチェックするには、スピーカーが不可欠です。すごく綺麗な音になったと思っても、オープンスペースで聴くとあまり効果がなかったり。

辻： 環境にも左右されるので、チューニングする私達の職場は他と違って、オープンスペースにはできません。部屋自体も広くないのですが、高めのパーテーションで区切られています。

鈴木： チュ−ニングする時は、音質評価用にデータベース化された音源を使って行うのですが、マライア・キャリーなど非常に難しい。楽器も声も、帯域がすごく幅広い。特定の帯域だけ狙って、エンコーダをつくってもダメなんです。私は、マライアを8年間聴き続けているので、何万回は聴いたでしょうか。そうなると、原音を聴かなくても処理音だけ聴いて、よいか悪いかまでわかるようになります。体にすっかり刷り込まれているんですね。