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第7章 デジタルをものにしてみせる

第1話 デジタルをものにしてみせる

  1971年、井深(当時社長)や、NHK出身ですでにソニーの常務になっていた島茂雄たちの誘いで、NHK(日本放送協会)の技術研究所長の職をやめて、中島平太郎(なかじま へいたろう)がソニーに入社した。中島は、設立されたばかりの技術研究所の所長に迎えられたのである。中島は、その4年前からNHKで細々と「音のデジタル化」に取り組み、2年がかりでデジタルオーディオテープレコーダーをつくり上げた男である。開発のきっかけは、本放送を目前に控えたFM 放送のための音質改善だった。それまで、コンピューターや電話の長距離伝送にしか使われていなかったデジタル技術を使って音を良くしようと考えた。電圧の連続的変化にした音の波形を、1秒間に数万回も区切って、各時点のレベルを数値化していく。これが音のデジタル化だ。実際に「デジタルサウンド」を実現したのはおそらく日本では彼が初めてだろう。
  1964年の東京オリンピックをきっかけに精力的な投資と技術開発のお陰で、日本の放送技術開発はかなり進んでいた。衛星中継が実現し、カラー放送も軌道に乗っていた。しかし、画像も音声も、まだまだアナログの世界の中での進歩だった。当時は、中島がNHKでつくった、雑音混じりでやっと音が出る大きくて高価なデジタルテープレコーダーに、将来性を見い出す人はあまりいなかった。

 中島が入社した当時のソニーでも、もちろんオーディオはアナログの時代だった。加えて不幸にも、ソニーは「デジタル技術」そのものに関して、消極的というよりも、むしろ逆風が吹いていた時期だった。それは、当時デジタル回路を使った唯一のソニー製品である、電子式卓上計算機「SOBAX」の製造・販売から撤退を決めた時期だったからである。

 1967年のSOBAX第1号機「ICC-500」(第1部第13章第3話参照)の発売以来、より小型・低価格化した電子計算機を目標に開発が進められてきた。そのためには、電子回路を半導体チップ上につくり小型化するIC(集積回路)、さらに集積度をより高めたLSI(大規模集積回路)など、半導体の開発が必須だった。ソニーはMOS(金属酸化膜半導体)型によるLSI開発を進めたが、他社と価格競争ができる半導体開発は無理との決断が下され、結果としてSOBAX自体のビジネスからも手を引かざるを得なかったのである。何しろ半導体開発には莫大な資金がかかる。1973年6月をもってSOBAXの製造は中止された。この決断により、電卓開発の中で育てられてきたソニーのデジタル技術の芽は、いったん摘み取られた形となってしまった。

 しかし、中島は、そのような状況でも諦めなかった。中島は、初めてデジタル化された音を聞いた時の感激を忘れていなかった。中島は10年先を見つめ、「デジタルはきっとものになる、いや、ものにしてみせる」という確信と情熱を持っていた。音の追求こそが彼の生涯の夢だった。

第2話 助っ人“ベータマックス”


  • ソニー初のPCM録音機「X-12DTC」
    (写真は開発途中のテープ走行ユニット)
 中島は、入社して2年ほど経つと、こっそりとデジタルオーディオの開発を始めた。中島のいる技術研究所は、井深たちがいる本社の建物と線路を隔てた反対側にある。幸い、井深の目が届きにくい距離にいることで、自由に研究開発を進めることができた。
 アナログ音声信号を符号化、つまりデジタル化する変調方式は、NHK時代と同様、「PCM(パルス符号変調)」方式を使った。PCM方式は1939年頃から概念としてあり、コンピューターや長距離電話、米・アポロ宇宙船からの宇宙中継などで実用化されていた。

 しかしながら、デジタルオーディオの記録・再生は、アナログオーディオの約100倍、放送局用のVTR並みのテープ量を必要とする。従来のアナログオーディオ機器の流用では到底記録しきれない。メカを一からつくっていくと、どうしても機械が大きくなってしまうのである。

 それでも苦労しながら何とか1974年に完成させたのが、ソニーのPCM録音機第1号「X-12DTC」。これは、2インチ幅のテープを使用し、固定ヘッドを56チャンネル使用した、大型冷蔵庫並みの大きさのものだった。テープ駆動部(メカニズム)だけで、250kgもある代物だったが、これがソニーのデジタルサウンド録音の歴史の幕開けとなる記念すべき第1号機であった。あちらこちらのホールへ運んで、オーケストラの演奏の録音などを実験的に行った。その年のオーディオフェアにも参考出品し、専門家の中には音の切れの良さを見い出してくれる人もいた。結局発売までには至らなかったが、当時は、 PCM方式、それも固定ヘッドを使って音が出た——その事実だけで画期的な出来事だったのだ。

 やがて、中島の情熱に乗せられて土井利忠(どい としただ)たちも開発メンバーに加わり、もっと安くて小さいものを模索し始めた。情報量の多い映像を記録・再生するビデオ機器の周波数帯域は、アナログオーディオの約200倍〜300倍以上ある。これなら、情報量の多いデジタルオーディオも十分記録できるのではないだろうか。折しも、1975年、家庭用VTRのベータマックスが発売されていた。「ベータマックスを使ってデジタルオーディオ録音してみたらどうだろう。価格もずいぶん安くできる」。いけるかもしれない——中島はすぐさま試してみた。

 ベータマックスを使い、ビデオ映像でなくデジタル音声を記録・再生させるために、膨大な信号処理を行う回路も作った。そして完成したのが「PCMプロセッサー」である。VTRとプロセッサーの2つがそろって1人前のデジタルオーディオテープレコーダーシステムとなる。1976年の「オーディオフェア」に展示すると、周りには二重三重の人だかりができた。

 翌1977年9月に、このPCMプロセッサーは「PCM-1」として商品化された。VTRとの併用ではあるが、デジタル録音・再生が行える世界初の商品だ。価格は48万円、高価ではあるが一般家庭用だ。
 しかし、中島たちがデジタルへの逆風の中でつくり上げたこのPCM-1には、「とにかくクリアな音だ」「ベールが1枚はがれた感じがする」というお褒めの声と同時に、それを上回る数の苦情が舞い込んだのである。

第3話 カラヤン氏のお墨付き


  • 1977年9月、商品化された「PCM-1」
 世に最初に出る製品というのは、どのように使われるか、出してみないと分からない部分がある。実際に使うのはお客さまであり、どういう「場」で使われるか、どのレベルの人によって操作されるかによっては、うまく機能したり、問題が起こったりする。こればかりは、メーカー側ではどうすることもできない。

 たとえば、PCM-1をいろいろなオーディオ機器とつないで使った人たちから、FMチューナーに「ブーン」という電磁ノイズが飛び込んでくるという苦情が入った。また、ダイナミックレンジ(最も強い音と弱い音の比)が広くなったので、防音の設備の整った静かな部屋でないと、周囲のノイズも同時に記録してしまい、「全然音が良くないじゃないか」ということにもなる。実験室の中では予測できない問題が、いろいろと生じる。使われる「現場」で発生した問題は、クレームという形で次々と中島たちの所に届けられた。

 中島たちは、これらのクレームを整理して分析してみると、わずか1年で商品化したために技術的に不足していた部分もあれば、説明不足が原因で使い方を間違えたために起きた問題も数多くあった。クレームの整理や分析で得られた経験は、次の開発のための貴重な勉強になった。

 一方で、クレーム対応に追われる技術者たちを、勇気づける出来事があった。家庭用と同時に開発を進めていた業務用のPCMプロセッサー(録音スタジオで使用するマスターレコーダー)の試作機を称賛した人の中に、「世界」のカラヤン氏がいたのだ。カラヤン氏は盛田(当時会長)の長年の友人である。カラヤン氏が、1978年9月のある日、盛田家を訪れるということになり、「せっかくだから何か聴かせるものはないか」と盛田が中島に質問したところ、「それでは業務用のPCM録音機をお聴かせしましょう」ということから、盛田家に試作機が運ばれた。

 そこで聴かせたのは、何と、ソニーの技術者たちがオーストリアのザルツブルクに行った時、カラヤン氏の練習中にこっそり録音してきた曲だった。お目玉を食らってもよいところだが、カラヤン氏は「新しい音だ」とたいへん感激した。彼は非常に機械好きで、録音技術そのものにも興味を示し、自分のスタジオを持ち、録音テープを自ら編集するほどである。彼は、単に音の美しさだけでなく、将来の録音システムを考えて、聴き慣れたアナログ録音よりもデジタル録音のほうが適している、と判断したのだった。世界のカラヤン氏にお墨付きをもらったのだから、技術者たちは、本当に嬉しく、勇気づけられる思いがした。

第4話 「次の時代は光ディスクだよ」


  • PCM直接記録方式を用いたオーディオディスクも登場
 一方、PCM-1開発の初期から、ディスクを使ってデジタルオーディオの録音・再生をしてみようという取り組みもソニーで始まっていた。
 1976年頃、ソニーでは家庭用VTRベータマックスの商品化と同時に、フィリップス社が「画の出るレコード」として世界に先駆けて開発した、「光学方式」のビデオディスク(レーザーディスク)の商品化に取り組んでいた。リーダーは、トリニトロンカラーテレビを開発したメンバーの1人、宮岡千里だ。岩間和夫は「次の時代にソニーが持っていなければならない技術の1つは光技術だ」と宮岡にしきりに語っていた。岩間の後押しもあって、宮岡は光学方式によるビデオディスクの開発チームを第2開発部の中につくっていた。

 1976年の春、土井たちはPCM-1の試作機を、このビデオディスクの開発チームの中に持ち込んで、内緒で1枚のディスクに音声信号を記録してもらった。この時つくられたディスクは、おそらく世界で最初に試作された「デジタルオーディオディスク」であったと思われる。

 ビデオ信号の形式は、ベータマックスでもビデオディスクでも共通だ。ということはベータマックス用のアダプターとして開発してきたPCM-1は、ビデオディスクプレーヤーのアダプターとしても使えるはずだ。当初の土井の構想では、当時ポストカラーテレビの最も有力な花形商品として期待されていたビデオディスクに、そのまま何の変更も加えずにPCM-1を接続してデジタルオーディオディスクに変身させることだった。当時、ベータマックスではきれいな音が出ており、この構想に疑いの余地はなかった。
 ところが、でき上がったディスクを試聴してみた土井たちは、大きなハンマーでなぐられたように打ちのめされてしまった。きれいな音楽どころか、すさまじい雑音の中に、とぎれとぎれに音楽の残りかすがこびり付いているといった結果であった。

 原因の究明が終わると、土井は3つの決断をした。1つは、秋に発表を控えたPCM-1は、ビデオディスクのことはおくびにも出さず、ベータマックス専用アダプターとすること。これは、当然の決断だ。2つ目は、デジタルオーディオディスクは、ビデオディスクとは無関係にオーディオ専用に考えようということ。つまり、これはビデオ信号の形式を借りないで、デジタルオーディオ信号を直接光ディスクに記録することに他ならなかった。当時、花形商品として世界中に大量に普及すると誰しもが信じていたビデオディスクと、全く別のフォーマットとして、この誰も考えていないデジタルオーディオディスクを開発するというのは、相当に勇気のいる決断だった。
 3つ目は、符号誤りの対策として「誤り訂正符号」の技術を積極的に導入すること。当時、「誤り訂正符号」技術は研究者のトピックスだったが、工業的な応用例はほとんどなかった頃であり、これもきわだった決断だった。デジタルオーディオディスクの内部の信号記録面には、音楽信号が1と0の数値の組み合わせであるデジタル信号に変換されて、凹凸(ピット)の配列で記録されている。再生する時は、レーザービームを当てて、このピットの有無によって生じる光の強弱を読み取り、電気信号に変換する。「誤り訂正」とは、再生の際、ピットの有無を読み違えた時に、前後の信号の様子から、機械自身が考えて訂正する機能である。ディスクは、もともと読み取りエラーの頻度がテープに比べて1けた多く、「誤り訂正」機能は特に大切だ。
 すぐに土井をはじめ、チーム全員が寝る間を惜しんで誤り訂正の勉強を始めた。同時に、土井はコンピューターの専門家たちに、誤り訂正符号のコンピューターシミュレーションシステムの構築も命じた。このことが、後にソニーがデジタルオーディオで圧倒的な開発力を誇る大きな要因となった。

 1977年秋のオーディオフェアでは、ソニーの他に、2社がデジタルオーディオディスクを展示したが、2社ともビデオディスクの上にビデオ信号を使って記録したもので、符号誤り対策としては、二重に書き込んだ程度のごく簡単なものだった。

 一方、ソニーの試作機は、ビデオディスクプレーヤーをそのまま使っていたが、ビデオ信号ではなく、デジタルオーディオ信号が直接光ディスク上に記録されており、また習い覚えた誤り訂正符号が使われていた。

 案の定、社内外からは「ビデオディスクをそのまま使ってビデオ信号で記録すれば、すぐに業界標準ができるのに、ソニーだけが違う方式をやっている」という雑音が聞こえてきた。

 土井は、その声に反論するため、オーディオフェアの会場で「ビデオ信号で記録すると演奏時間は30分だけど、直接記録を使えば13時間20分記録できる」という内容の講演をした。記録の効率が27倍にもなるという、直接記録の技術的優位性をアピールするための講演だったが、この話を伝え聞いた大賀は、「13時間20分とは、何たるばかげた規格だ。商品の何たるかを分かっていない。ソフトウエアがあって初めてハードウエアがあるのだ。私たちはCBS・ソニーというレコード会社を持っているが、そんな長時間もの音楽の入ったソフトをつくるのは、コストがかかり過ぎてビジネスとして成り立たない」と嘆いた。

 ちなみに、13時間20分というのは直接記録の理論値であり、1977年に実際にデモした試作機の演奏時間は1時間、翌78年のオーディオフェアでデモしたものは2時間30分だった。ビデオディスクプレーヤーの機構的な制約のため、実現された記録密度は理論値からほど遠かった。

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