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第14章 画質の良さがコンピューターディスプレイに

第1話 画質の良さがコンピューターディスプレイに


  • ソニーで初めての「エミー賞」のトロフィーを手に喜ぶ井深
 さて、井深の指導の下、吉田、大越、宮岡らが苦労の末、生み出したトリニトロンカラーテレビ(第1部第15章参照)は、その後どうなったのだろうか。

 1968年10月に第1号機「KV-1310」を日本で発売してから、5年。海外での需要も増え、カラーテレビの組み立て、そしてブラウン管(CRT) の生産工場が次々と建てられ、生産の現地化を着々と進めていた折、大変喜ばしい知らせが届いた。映画の「アカデミー賞」と並んで、テレビ界では最高の栄誉とされる「エミー賞」に、トリニトロンが選ばれたのである。エミー賞は、アメリカ芸術アカデミーからテレビの最優秀番組、俳優、プロデューサー、テレビ局、さらにテレビの送受信方式に関する画期的な技術開発に対して贈られるもので、テレビ受像器が受賞したのはトリニトロンが初めてであった。全米にテレビ中継される授賞式で、金色に輝くトロフィーを手にした井深は、栄誉の大きさに緊張しながら喜びをかみしめた。

 それから20余年——「1ガン3ビーム」「アパチャーグリル」「シリンドリカル(円筒形)のフラットパネル」に代表されるトリニトロン技術は、その優位性を発揮し続け、 AV技術の要としてソニーの成長を支え続けたのである。
 13インチから始まったトリニトロンカラーテレビは、大小サイズの幅を広げ、技術的な向上はもとより、「プロフィール」「プロフィール・プロ」など新しいデザインコンセプトモデルを登場させながら、民生用テレビとして広く親しまれていった。そして、高精細度(超高解像度)、明るい画面を誇るトリニトロンのブラウン管技術は、民生用テレビにとどまらず、新しいビジネスを生み出していったのである。トリニトロンにとって、次の飛躍のきっかけとなったのは、何といっても、80年代に急速に進んだコンピューターの普及であった。

 ソニーが本格的にコンピューターディスプレイ(表示装置)用のブラウン管を開発し始めたのは、70年代も終わる頃だった。世の中にコンピューター、 CAD/CAM(Computer Aided Design/Manufacturing:コンピューターを利用して設計し、製造の段階にもコンピューターを使うこと)などが普及し始めるきざしはあった。ユーザーからは、「コンピューターディスプレイ用のトリニトロンはないのか」という問い合わせや引き合いが寄せられていた。実際、トリニトロンのブラウン管が、ユーザーの手によってテレビから取り出されて、ディスプレイ用に改造されて使われるということもあった。コンピューターは細かい文字・記号などを扱うため、ディスプレイは明るく、高精細な画面が必要とされる。この分野で、まさにソニーのトリニトロンの画質の良さが、改めて注目されたのである。

「トリニトロンの良さを活かしたコンピューターディスプレイをつくろう」。明るさ、見やすさなどトリニトロンの原理的優位性を活かしながら、さらに画面の隅々まで高精細な文字情報、画像表示を実現できるよう、コンピューターディスプレイ用のブラウン管開発が進められた。高速に大量の情報を処理するコンピューターの周辺機器として使うため、民生用とは1桁違う精度が求められる。苦労の末、高精細のブラウン管の開発に成功した。そのブラウン管を搭載して 1983年に登場したのがGDM(Graphic Display Monitor)である。CAD/CAMや、グラフィックス用途に、高密度の表示能力を持つカラーディスプレイである。そして、いち早くワークステーション(技術者など専門家向けの個人用高性能コンピューター)を出している主要メーカーに次々に売り込んで、トリニトロンの実力を認めてもらうことに成功した。この計画が功を奏し、80年代後半からのワークステーションの成長とともに、GDMは「ワークステーションのディスプレイならトリニトロン」との評判を固めていった。

 やがて、教育機関などでのパソコンの普及に伴い、低価格化、小型化したコンピューター用キャラクターディスプレイ「CPD」シリーズなどのラインアップも加え、ソニーのコンピューターディスプレイは、80年代も終わろうとする頃になると、ビジネスとして本格的になっていた。90年代に入ると、OEMビジネスに加え、販売、流通チャンネルも自ら整備して、ソニーブランドのビジネスも開始された。以降、飛躍的なビジネス拡大が続いた。

第2話 とうとう世界で1億本


  • 1985年、「ソニー高精細度ビデオシステム(HDVS)」を他社に先駆けて商品化
 1994年6月。トリニトロンの開発から四半世紀を経て、世界のトリニトロンブラウン管の累計生産本数は、ついに1億本を記録した。この1億本の実に半分が、直近の5年で達成したものである。テレビの大画面・高画質時代が到来し、また、コンピューターディスプレイの需要が増大し続ける中で、トリニトロンの良さが再認識されたのだった。民生用、放送業務用、コンピューターディスプレイ用——広がる需要を支えてきたのは「市場のある所で生産する」のポリシーに基づき、カラーテレビの組立工場に続いて、着々と日・米・欧・東南アジアに建てられたブラウン管の生産工場だ。1992年のシンガポールのブラウン管工場の稼働をもって、カラーテレビのトリニトロンブラウン管は世界の4極から世に送り出される体制となっていた。また、コンピューターディスプレイも、特に需要の多いアメリカにおいて、1995年までにブラウン管を含めた一貫生産体制が敷かれた。

 1995年に入る頃、家庭用のカラーテレビ市場で、ソニーはついに、世界ナンバーワンのシェアを占めるようになった。一般家庭へのパソコン普及も急速に進み、コンピューターディスプレイの需要にも拍車がかかっていた。さらに、衛星放送やハイビジョン放送の充実、ワイドクリアビジョン放送の開始など、テレビを取り巻く環境も多様化していた。

 やがて、新しいタイプの家庭用テレビも誕生した。マルチメディア時代のワイド(横長)テレビと銘打ち、1995年10月、ハイビジョンを含めた3種のテレビ映像からパソコン映像まで再現できる「パワーワイド」が発売されたのである。16対9の画面の隅々にまで高精細な映像を再現したのは、もちろん HDVSですでに定評のあるトリニトロンブラウン管である。

 こうして、高精細なディスプレイがあちらこちらで求められる中、四半世紀前に生まれたトリニトロン技術という原石は、磨かれながらその底力を発揮し続けている。「トリニトロンはS・O・N・Yのブランドに次ぐ財産だ」と、盛田は繰り返し語っている。
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