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ソニーイメージングギャラリー 銀座
子どもの頃、「私」の範囲がわかりませんでした。指先やつま先はとても遠く、思い通りに動くことに驚きました。その反面、原っぱや砂浜にいる時には、端から端まですべてが「私」だ、という感覚になりました。そもそも私はどうしてこういう形で存在しているのだろう?こういう存在の仕方には慣れていない気がする、とも感じていました。 そして、時々、体が粉々になって空気中に散っていくという感覚にとらわれました。これはとても恐ろしく、反面清々しいものでもありました。留めておきたいと望んでいたにも関わらず、残念ながら成長するにしたがって、この感覚はなくなっていってしまいました。
今でも私は、「私」という実体に時折不信を抱きます。 「私」か「私」でないかは、うすい皮膚を隔てて内側か外側かというだけです。これはとても心もとないことです。細胞レベルで考えたら1年前の「私」と今の「私」ではほぼ総取り替えされています。それなら別人なのではないでしょうか?「私」と思えることの方が不思議です。
しかし、「私」はしょせん元素の集合体に過ぎません。 超新星爆発の際にばらまかれた元素によってできているのです。 たまたま今、この形で存在しているだけで、死んだらまた元素にもどって宇宙に散っていきます。 禅の思想でも、「あらゆる物体はそれ固有の実体が存在しているのではなく、何かが集まった状態にすぎない」と言われています。 実体に不信を抱くのは自然なことなのかもしれません。
そう、「私」はただ宇宙の一部であり、いつか宇宙に還るのです。
神奈川県横浜市生まれ。 2013年より本格的に写真を学び始め、写真家として活動中。 子どもの頃に読んだ絵本や児童文学の世界、そして大人になってから出会った東洋思想の一つである「禅」の考え方に影響を受けています。
「すべての物質には実体がなく、流動的な状態のほんの一時の姿であり、常に変化していく」 私はその考えから逃れることができません。 「それ」はいつから「それ」でありいつまで「それ」であり続けるのか? この思考を主軸に作品を制作しています。
ritsuko matsushita ウェブサイト
※横浜御苗場にはユニット「maturyu & maturi-co.」で参加